神奈川 スカイプのヒプノセラピーユニークアイは、ヒプノセラピー(催眠療法)セッション、暗示療法、退行療法、ヒプノセラピストプロ養成スクール、潜在意識の活用・自己催眠セミナーで、心の癒しと解放、親子関係の問題、トラウマ・生き辛さの解消、望む未来の創造をサポートします

ヒプノセラピーで心を癒すヒプノセラピーユニークアイのロゴもっと自分らしく望む未来を創造するロゴ

直感と思考のアンバランス 心が追い詰められた時

2017年03月06日

お問い合わせのお電話やメールを、突然、いただくような時、
急を要している雰囲気が伝わってくることがあります…

この方は、まさに今、相当お辛いのだろうと、
こちらも身構え、セラピストモードに入ります。

どのようにして、私どもの電話番号やメールアドレスに
行き着き、ご連絡くださったのかと、想像してみると、
(折に触れて思うのですが)
そこには直感のはたらきがあるように感じられます。

「クライアントの方は、ご自分を扱えるセラピストを的確に選んでいる」
ということがよく言われます。

これまでの経験から、本当にそうであるらしい…と私も感じています。

それは、必ずしもその方が望む癒しが起こる…、効果があがる…
ということを意味するのではありません。

結果ではなく、セッションのプロセスにおいて、
おそらくお互いにとって、必要な言葉やエネルギー、フィーリング、
表現すべきことや耳を傾けることなどがある時に、
化学反応のようなことが起こっている…

それをあらかじめ察知したり感知したりするのは、
マインドの思考ではないように感じるのです。

お互いというのは、ヒプノセラピストとクライアント、
出会いはゆかり、仏教で言われる因縁のようなものです。

セッションとは、ヒプノセラピストが、
クライアントの方の癒しのサポートをさせていただくものですが、
ヒプノセラピストのほうも、クライアントの方から、
たくさんのものを受け取り、多大な影響を受けているのです。

それは、言葉にすると少しおおげさですが、
個人の視点を離れて俯瞰してみれば、共同創造のようなものです。

さて、話を最初に戻しましょう。

差し迫った状況で、直感とフィーリングに導かれて
コンタクトを取っていただいた(かと思われる)その方が、
そこからにわかにマインドの思考に入っていかれることがあります。

良いとか悪いとかいうことではなく、
客観的にそうなっているのが伝わってきて、直ちに理解されます。

まるでギアチェンジのように。

すると、お電話でも、メールでも、
さまざまなご質問や確認、効果の念押し、経歴参照などが始まり、
細かい部分についてのやり取りが幾度にも渡って重ねられることになります。

たぶんその長いやり取り自体が、
ちょっとしたストレスを生み出してしまうのではないかと
だんだん心配になっていくほどに。

直感がひらいたドアを、自然に通り抜けて入っていくことを、
マインドは簡単には許してくれないのでしょう。

頭で納得できるまで、調べたり、吟味したり、確認したり、比較検討したり…を
し続けないわけにはいかないのでしょう。

たいへんなエネルギーが費やされることでしょう。

このようなことが、時々起こるのですが、
代替療法の仕事をしている立場からは、どのような説得力をもって、
「マインド」にアピールが出来るのだろうかということも、
頭の隅をかすめます。

ホームページに書いた説明以上の、どんな要素を付け加えたら、
マインドに、納得していただけるでしょう?

その方のパーソナリティや育った環境、親子関係、人生の体験などによって、
この世界に対するわけのわからない気持ち、漠然とした不信感が生まれ、
懐疑や不信がパターンとなってしまうことがあります。

失敗したくない、間違えることは許されないという
強迫的な信念が潜んでいる場合もあるかもしれません。

感情やフィーリングに蓋をしてしまうと、
その分、思考活動が活発にはたらいて補ってくれます。

世界に対する不信感と、自分に対する不信感があるとしたら、
日々の生活は、どれほど暗く、難儀なものとなるでしょうか?

本当に辛いことです。心が痛みます。

基本的な安心感が持てないという苦しみは、
そのことに気付けるならば、その方が取り組むべきテーマとなっていくでしょう。

気付きもまた、内省ばかりではなく、
マインドを越えたところからやってくることがあります。

頭をフル回転させて、何から何まで考えて、考えて、考え続けて、
くたびれてしまったら、休養が必要です。

体だけでなく、思い切って、頭も休ませてあげましょう。

ユング心理学では、人間には、思考のほかに、
感情、感覚、直感という素晴らしい心の機能があると考えます。

苦境に立たされている時や、限界を超えそうな辛さがある時は、
心のバランスが崩れている時、
思考だけで突き進んでいく危険は、私も体験したことがありますが、
本当に危ないことになりかねません。

そんな状況に陥ってしまったら、一人で抱え込まずに、
信頼できる人に打ち明けてみましょう。

今の気持ちや状況について、ゆっくりと話を聴いてもらうことをお勧め致します。

言葉にしてみると、心が落ち着いてきますし、
ご自分を客観的に眺める心のゆとりを持てるようになるでしょう。

ヒプノセラピーで心を癒す もっと自分らしく 望む未来を創る


この記事にコメントする

心を苦しめるもの2 有害で無益な思考を手放すために

2016年03月31日

数ある人生の苦しみの中から、
ここでは妄想による苦しみについて考えてきました。

有害で無益な思考を手放すために1 はこちら

妄想が、妄想に過ぎないということは、
おそらく多くの方が気付けることだと思います。

気付くことが出来たならば、あとは手放すのみ…なのですが… … 

今、何が起こっているのか?
これからどうなっていくのか?
わからないことを考え続ける時、そこに浮かんでくるのは、
悲観、そして期待というキーワード。

想像が、否定的な方向にどんどん向かっていき、
自分で自分の首を絞めることとなってしまうのが、怖れと悲観です。

こうあって欲しいという特定の結果に対する執着を捨てられず、
無意識のうちにそうなることを期待して、
果たしてそうなっているのか、それともいないのかと
考え続けてしまうこともあります。

それは、まるで現実と戦っているような状態です。

現実に起こることには、人間の力の及ばないこともたくさんありますし、
多くの人々の想念や感情や欲がからんでいることもあります。

ですから、現実との戦いは、勝ち目のない戦いということになります。

勝ち目のない戦いを止められないとしたら、どれほど消耗し、
気力、体力、生命エネルギーを奪われてしまうことになるか…。

勝ち目のない現実との戦いは、お勧め出来ません。

人生の時間は、もっと有意義で楽しいことに使ったほうが良いのです。

戦わないための秘訣は、言葉で言うと簡単に聞こえてしまいますが、
あきらめること、手放すことです。

人生には、ままならないことがある…というよりも、
生きて経験することの大部分は、思うようにいかないこと、
仕方がないことであるといっても良いでしょう。

ところが、挫折や逆境をほとんど経験したことがなかったり、
実際には挫折していても認めていなかったり…という場合、
もしかすると、思ったとおりになるはずという幻想と期待を
持ち続けているかもしれません。

「人生とは、思うようにいかないものだ」と割り切ってしまうことは、
心と体を苦しめることから解放するために役立つのではないでしょうか?

私は若い頃のある時期、何もかも思うようにいかず、
絶望しかけたことがありました。

シモーヌ・ヴェイユを読み、人生は苦であったのかと考えてみると、
逆説的ではありますが、苦のどん底から見上げた世界には、
わずかに明るさの片鱗が見られ、幾分慰められた記憶があります。

どうしてもあきらめきれないという思いは、
特に執着が強いわけではない方にも、起こる場合があります。

それは、その方にとって、
ほかのものとは一線を画す重要な事柄である場合です。

ほかのことはどうなったとしても、あきらめがつくけれども、
こればかりは譲れないということです。

これはたいへん深刻な事態を生み出してしまいます。

考え方を変えてみたり、先人の教えをひも解いたりしてみても、
その方のパーソナルな信念や価値観、矜持に関わることですので、
解放のヒントは得られないかもしれません。

私は、個人セッションにお越しの方が、このようなテーマをお持ちの場合は、
あくまでもその方にご希望に応じてということになりますが、
なぜそこを手放せないのか? なぜそこまで重要なのか、探求をしていきます。

なぜならば、それほど強い思いや感情には、
かならず背景に何かが存在しており、
多くの場合、その方が意識していない原因や理由が隠されているためです。

それは、パーソナリティや親御さんとの関係に関わる場合もありますし、
トラウマや胎児期の体験に関わる場合もあり、
もっと次元の異なるトランスパーソナルな理由による場合もあります。

原因探しが目的なのではありません。

起源となり立ちを理解することから、解放のプロセスが始まるためです。

場合によっては、こうなった起源に立ち戻り、深いレベルで探求し、
核心となる要素を明らかにすることを好まない場合もあるでしょう。

そのような場合には、直接、その起源には触れない形のセラピーを
選択していただくことが出来ます。

思考は、思い癖という言葉があるように、勢いがついて、何度も繰り返され、
パターンとなっていくことがありますので、
ご本人の内省や気付きが十分に深く、シフトへの意図が明確であったとしても、
なかなか手放せないことがあるのです。

解放のためのセラピーやワークをするとしないとにかかわらず、
(日常生活の)顕在意識の部分では、
ご自分を苦しめるようなことは止めると決意すること、
現実と戦うことは無益であると理解していただくことは、
必要であり、役立つことです。

さて、ここまで書いてきたこととは一見、矛盾するようですが、
別の観点から妄想の苦しみを眺めてみるならば、
実は、人間には、心ゆくまで苦しみの中に居続ける権利があります。

苦しむ権利とはおかしなことだと感じられるかもしれませんが、
私たちは、この人生の時間をどのように生きるかについて、
いつでも自由に選択することが許されているのです。

今、苦しみを味わい、苦しみの中に浸り、居続けたいのであれば、
それはそれで良いでしょう。

苦しみを体験することからしか受け取れない気付きと変容があるでしょう。

けれども、それは、自由があると分かったうえでの
自覚的で能動的な選択であって欲しいと思います。

被害者や犠牲者として、為す術もなく苦しみに浸り続けるのは
何も良いものをもたらしません。

セルフヒーリングの力と生命エネルギーは、
どんな方にも具わっているものです。

ご自分を楽にしてくれる思考や、幸せな気持ちになれる心の姿勢を
いずれきっと選択されていくことでしょう。

苦しみそのもののパワーが、その方に与えるダメージよりも、
苦しみにまつわる思考と妄想の猛毒が、
人生を打ちのめし、健やかさを損ない、前に進むことを圧倒していることに
気付いていたいものです。

ヒプノセラピーで心を癒す NLPなど各種心理療法による妄想解放のサポート


この記事にコメントする

心を苦しめるもの 有害で無益な思考を手放すために

2016年03月29日

あなたの心の苦しみは、何ですか?

いろいろなことが思うようにいかない…
心を傷付けられた/傷付けてしまった…  
不愉快な思いをした/させてしまった…
裏切られた…  陥れられた… 
などは、日常、誰でも一度くらいは体験したことのある
「心の苦しみ」の典型です。

大切なものを失った…
自分のことが嫌い…
生きていて辛い…
何故かわからないけれど、気分が沈んで鬱々としている… 
という苦しみもあります。

心の苦しみは、重くて辛い…
だからなるべく早く無くなって欲しいし、
出来ることならば苦しみのない毎日であって欲しいと
誰もが思っています。

心の苦しみをどうしたら癒すことが出来るかを考える前に、
そもそも苦しみとは何かということに意識を向けてみると、
連想されるのは、四苦八苦という仏教由来の言葉です。

悟りをひらくまでは、人間が生きている限り、
苦しみと無縁ではいられないと言われれば、そうなのかもしれません。

原始仏教の経典には、お釈迦さまが、
お弟子さんたちの質問に答えた言葉が記録されており、
人を苦しめるものの代表として、怒り、欲と並んで、妄想が出てきます。

妄想とは、頭の中で、現実ではないことがぐるぐると回り続ける思考。
止めることが難しくなると、何時間も、何日間も、そのことを考え続けたり、
内容が広がってエスカレートしたりしていきます。

考えること自体が健康を損ない、
考えている状態が大きなストレスを生み出している有害な思考…。

意識が集中していて、それを客観視することが出来ないか、
または気付いていても、コントロールが出来ず、
手には負えなくなっているものです。

これは犬や猫などの生きものには無いことで、
優れた知性やマインドの資質が
裏目に出た形と言ってもよいかもしれません。

常に頭脳が動いていて思考を止められないというご相談は
時々受けることがあり、それもたいへん辛い状態ではあるのですが、
ただの思考ではなく、心を苦しめる妄想であるならば、
どれほど大きなダメージとなるか、容易に想像していただけるでしょう。

まずは、それが妄想であること、
まだ起こってはいないこと、
起こるかどうかわからないことであると気付けたらよいですね。

起こるかどうか可能性が半々である時、
一体どちらになるのかと考え続けるのも妄想であり、
その無益さは、わかっていても、止められないことがあります。

これから何が起こるのかは、誰にもわからないことですので、
そちらに意識を向け続けることは、
不可能に挑んでいるようなものです。

どのようにしたら、そこから意識を切り離すことが出来るでしょうか?

有害で無益な思考を手放すために2 に続きます…


この記事にコメントする

心の疲れを癒すには?  思考を使い過ぎないで

2014年10月16日

学生時代に、オールマイティに成績が良く常にトップクラスの方や、
大企業で責任ある役職に就かれバリバリと仕事をこなしておられる方、
あるいは仕事が出来る有能な人材と
周囲から高い評価を受ける方とお会いすることがあります。

失敗がなく破綻もない、何を任せても安心感のあるこうした方々は、
多彩な分野で先駆けとなり、道を拓き、
世の人々と社会に貢献し、感謝されています。

本当に頭の回転が速く、このうえなく優秀で頼もしい限り…
というのが正直なところなのですが、
セッションルームにお越しになっているのですから、
こうした方々であっても、一筋縄ではいかない問題に傷付き、
悩んでいらっしゃるということになります。

頭脳明晰で努力家、向上心があり、勤勉で真面目な方は、
社会的に素晴らしい評価を受け、自己価値も高いことが多いのですが、
お仕事では大いに役立つその明晰さや論理思考が、
かえって足を引っ張る形になることがあるのをご存じでしょうか?

課題を整理し、思考を使って検討を加え、解決に導くいつものやり方が、
人生で起こるさまざまな問題にも適しているとは限らないためです。

こうした思考を使った緻密な分析や解決方法が身に付いてしまっていると、
無意識のうちに、どのような問題に対しても、
同じ方法を使おうとしてしまいがちです。

なぜ上手くいかないかと言うと、
頭で考えることは、必ずしも現実と一致してはいないからです。

言葉で言ってしまうと簡単なのですが、
頭脳を発達させた私たちは、頭で考えたことが即ち現実であると
無意識に思い込んでしまっていることがあるのです。

「そんなはずはない、まずは現状を認識し、課題を発見し…
解決策を選び…」と思われるでしょうが、
現実認識の段階で、既にズレが生じていることも多いのです。

私たちは、一度失敗をすると、
二度とあんな体験はしたくないと強く感じます。

そして次に何か起こった時、まだ失敗をしていないにもかかわらず、
過去の失敗イメージが頭に浮かんで、
そうなるまいと総力を挙げて頑張るのです。

潜在意識のことをご存じの方は、
良くないイメージを持つと、それが潜在意識に浸透して、
実際にそのとおりの否定的な結果に結び付きやすくなることを
思い出されるでしょう。

潜在意識には、意志の力でそうなるまいと頑張ると、
逆にそうなりやすくなってしまうという特性もあります。

人は、想像力を使って、良くない結果が起こる可能性をあれこれと予測します。

その予測が心に動揺を与え、
心身の不調を引き起こすことがよくあります。

これまで輝かしい成功を続け、高い評価を維持してこられた方や
周囲に対する責任感の強い方ほど、失敗に対する防衛意識が強く作動し、
最悪の事態までをも視野に入れることで、
かえって精神的に苦しめられることになりかねないのです。

思考は、一つの出来事に直面すると、
過去の似たような出来事や情報と瞬時に照合し、
何が起こるかを予測して最悪の事態に備えようとします。

備えあれば憂いなしとは、先人の知恵そのものですが、
まだ何も起こっていない時に、
架空の悲劇や不運をリアルに想定する必要は無いこともあります。

現実の世界では、予想もしていなかったことが奇跡的に起こったり、
想像を超えた出来事や、予測不可能な出来事が起こったりすることもあります。

今、ここにしっかりと意識を置くことで、
何が起こるかわからない不安な将来や、辛い失敗を体験した過去へと
思いを向けずに過ごすことができるでしょう。

だからといって、リスク管理をしなくてよいと言っているのではありません。

思考を使い過ぎる傾向がある場合には、
既に十分過ぎるくらい身構えて備えているのですから、
時には少し肩の力を抜き、ゆったりと構えて、
「なるようになる」くらいに軽く受けとめてみるのも
心の平和や健やかさには役立つのではないでしょうか?

思考が到達出来ない未知の現象や領域をも含んでいるこのリアリティ、
何が起こるかわからない、何でもあり…くらいに受け入れて、
むしろ興味深く眺め、時には楽しめるようにさえなれたら
心は元気を取り戻せるかもしれません。

ヒプノセラピーで心を癒す 催眠と潜在意識


この記事にコメントする

思考による追及とジャッジを手放す 心の平和のために

2014年04月03日

辛い状況や苦悩が続くと、気分が落ち込み、
暗いことばかりが頭に浮かび、どんどん悲観的になってしまうことがあります。

このような状態の時、多くの方がご自分を追い詰めて
苦しいにもかかわらず、さらに苦しくなるような状況に陥ってしまいがちです。

こうしたことが起こる背景には、
思考のはたらきが関わっている場合があるようです。

頭で考えることは理にかなっており、無駄や矛盾がありません。
過去の事例を参照しては、未来の状況に適用して、
取り返しのつかないことにならないように
しっかりと防衛できる備えや姿勢を準備させてくれます。

そのためには過去の不快感や後悔を隈なく振り返ることも必要となります。
二度とそんなことは繰り返したくないためです。

これらは決して悪いことではありませんし、
間違っているわけでもありません。

けれども思考は時として、怖れや不安に基づく選択に導き、
最悪の事態や問題のある状態を回避することが
その主要な目的となっていることがあります。

頭で考えることは理路整然と破たんがなく、
すっきりとして安心感を与えてくれるかもしれません。

けれども人間の心や、人生で出会う出来事は、
頭で考えて割り切れるようなものばかりではないことに
思いを向けてみるのも、時には良いのではないでしょうか?

理屈はどんどん頭を回転させ、先へ先へと想像上の未来へ進んで
こうなるはず、こうなるべきという明快な結論に至ることが多いのですが、
実際には、そのとおりにはいかないことのほうが多いものです。

落ち込んだ時、ウツウツとしている時は、
今、ご自分が考えていることが、
ご自分を苦しめてはいないかどうか、
少し立ち止まって見てみるとよいと思います。

真面目で細部までおろそかにせずきちんと考える方ほど、
ご自分や他者に対する追及の手を緩めることなく、
追い込んでしまうことが起こりやすいようです。

他者からの追及ならば、
逃げたり隠れたりすることが出来るかもしれませんが、
セルフジャッジメントとなると、逃れることはかなり困難です。

つい考えてしまうことがご自分を苦しめるものであるならば、
その思考を止め、思考からご自分を逃がして、
解放してあげてもよいのです。

日常生活の中で、思考が中心的な要素となって活動を続け、
ほとんどの時間帯を独占して、
まるで思考がご自分の意識そのものであるかのように
なってはいないでしょうか?

思考、感情、感覚、直観という
4つの心的機能を思い出してみましょう。

たとえば感情は、思考とは異なる動きで流れており、
そこには理屈では割り切れない要素が含まれています。

今、桜の花が満開です。

見事な花や木々、野鳥、大自然の移り変わりなどを眺めている時
思考を休めて、心の声に耳を傾けてみると、
何か感情があることに気付くかもしれません。

というのは、嫌な感情を感じたくないために
無意識に思考を巡らすことで、心を防衛していることも多いためです。

感情に気付いたら、それを知的分析的に理解するよりも、
その感情に浸り、感情を味わい、
感情とともにいることをお勧めします。

思考も感情も、選択することができます。
否定的な思考に気付いたら、喜ばしく幸せな思考を選びましょう。

どうしても否定的な思考から逃れられない時は、
散歩やストレッチなど気分転換をするか、
睡眠を取られるのもよいと思います。

ヒプノセラピーで心を癒す 潜在意識のイメージワーク


この記事にコメントする

 



ヒプノセラピー
ユニーク アイ
メンタル サポート

 icon

対面・スカイプ・電話セッション
TEL:080・5008・7108
メールアドレス: mailicon


↑ PAGE TOP

メニュー